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神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)1178号 判決

原告

沖田和男

原告

沖田起与子こと

沖田子

右両名訴訟代理人弁護士

高荒敏明

被告

学校法人灘育英会

右代表者理事

嘉納正治

右訴訟代理人弁護士

俵正市

藤田良昭

縣郁太郎

野村正義

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告沖田和男に対し、四五八一万五三三四円、原告沖田子に対し、四四八一万五三三四円及びこれらに対する昭和六〇年一一月七日から右各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 沖田圭司(以下「圭司」という。)は、昭和四二年九月七日に父原告沖田和男(以下「原告和男」という。)と母原告沖田子(以下「原告起与子」という。)との間の長男として出生し、昭和五五年四月一日に私立灘中学校(以下「灘中学」という。)に入学し、これを卒業して、昭和五八年四月一日に私立灘高等学校(以下「灘高校」という。)に入学した。

(二) 被告は、私立学校法に基づいて設立された学校法人で、神戸市東灘区魚崎北町八丁目五番一号に灘中学と灘高校を設置し、これを管理している。

2  事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和六〇年一一月七日午前九時四〇分ころ

(二) 場所 神戸市灘区六甲山町西谷山千丈谷第五砂防堰堤(以下「第五堰堤」という。)南側の西側斜面(以下「本件事故現場」という。)

(三) 事故態様 灘高校は、校外学習行事の一環として例年一一月初旬に学年別遠足を実施していたが、昭和六〇年度は昭和六〇年一一月七日に六甲山集中登山(以下「本件登山」という。)を実施することを計画した(以下、同計画を「本件登山計画」という。)。当時同高校三学年に在学していて本件登山に参加した圭司は、四二班に配属されていたが、本件事故当日、四二班の班員及び他の班に属する者(圭司を含めて合計一三名)と共に一グループとして行動して第五堰堤に差しかかり、本件事故現場に立て掛けられていた梯子を一三人中の一二番目に登っていた際、突然落下してきた直径約三〇センチメートルを超える落石の直撃を頭部に受け、頭蓋骨骨折、脳挫滅及びくも膜下出血の傷害を受けて、ほぼ即死の状態で死亡した。

3  責任原因

(一) 債務不履行責任(安全配慮義務違反)

(1) 本件登山は、学校教育本来の教育活動の一環としての特別教育活動である学校行事として行われ、登山の経験が十分でない者も含めた第三学年全生徒の参加が強制されていたが、それは、生徒にとって日常的な定まった教育活動とは異なり、未知の場所で行われるため、どのような危険が伴うか予測し難い面があり、また、個々の生徒には危険に対する対応能力が充分備わっておらず、危険回避のための能力が劣る生徒も参加すること、更には生徒らが普段の校内での生活から離れて解放的な気分になりやすいことなどを十分に考慮にいれて慎重に登山コースを選択し、かつ、登山を実施する前に学校側がその登山コースを実際に下見検分し、生徒全員にとって安全であることを確認しておかなければならない。この場合の安全性の程度は、登山に不慣れな生徒にとっても安全であり、かつ、登山につきその様な能力の低い者のみならずパーティー全体が危険に陥ることがないという安全水準でなければならない。そして、そのコースにおいて学校側が生徒の安全上問題のある箇所を認めたとき或いは予想される危険があると考えたときは、生徒に対して事前に充分な注意を与え、危険回避の方法を事前に充分指導しておくことが必要である。かかる指導をなし得ないならばその様な危険性のある登山コースを学校側が選定してはならないし、安全性が事前に確認されていない登山コースを生徒が登山することを学校側が許してはならない。

(2) また、クラス担任の教諭は、どのような経緯によってであれ、自己のクラスの生徒らが指定外のコースを登山しようとしていることを知るに至った場合には、その様な計画をしている生徒らに対し、指定外コースによる登山を禁じ、これを止めるよう厳重に指導監督する職務上の注意義務がある。

(3) 被告と圭司との間には在学契約が存在しており、これに伴って被告は、灘高校の学校生活、学校教育活動上、生徒の生命、身体等に不測の損害が生じないように万全の注意を払い、諸々の危険から生徒の安全を保持すべき安全配慮義務を有していた。ところが、本件登山においては、以下のとおり、本件登山計画におけるコースの指定及びその実施運営に至る過程において教職員による十分な指導監督が尽くされなかったため、圭司らは落石の多い危険な西山谷コースを降雨後という悪条件下でしかも指導監督者も付せられることなく登山し、その結果本件事故が発生することになったもので、本件事故は被告の安全配慮義務違反によって生じたものであるから、被告は、これによって生じた損害を賠償する責任がある。

a 本件登山は、学校側が幾つかのコースを指定し、参加生徒の出欠点呼のために山上の神戸ゴルフクラブのクラブハウス前に唯一のチェックポイントを設け、これを指定時刻内に通過すればよいという形式で行われたものであるが、このような登山計画の場合には、学校側は①生徒らが届け出たコースと同じコースを登山したかどうか、②班ごとに統制ある行動が取られていたか否か等についてチェックし得る処置を講じなければならないと共に各コースについて事前に充分にその状況を把握していなければならない。ところが、例年指定外コースを登山したり届出と異なる指定コースを登山したり、或いは前夜から六甲山に宿泊する者がいたことを灘高校の教諭らは良く知っていたにも拘らず、学校側は何等の処置も講じることなく、また本件登山計画を見直すこともなく、安易に同計画を実施した。

b 本件登山計画に関しては、登山予定コースとしてB―油コブシ道コース、C―寒天山道コース、D―石切道コースの各コースが指定されていたところ、圭司ら四二班及び四六班の生徒一三名は、学校側から指定されていたC―寒天山道コースから、途中で別れる西山谷を経て六甲山上に至る指定外のコース(以下「西山谷コース」という。)に変更することとし、同行する他班の班員が下見に行った後、本件登山の約一週間前に四二班の石川尚(以下「石川」という。)を通じてクラス担任教諭である大森秀治教諭(以下「大森教諭」という。)にコース変更の了解を求めた。その際同教諭は、石川らが学校の指定外コースである西山谷コースを登山するつもりであることを事前に確実に知るに至り、かつ、指定コース以外は学校側による安全配慮がなされていないことを認識しながら、これを止めるよう指導監督しなかったばかりか、かえってこれを了承ないし許可した。

右西山谷コースには、滝の岩場を直登するルートと滝を迂回する巻き道を通るルートとがあり、一般ハイカーの多くは後者を歩くが、巻き道を通る者も適宜滝の岩場登りのルートに変えることが可能で、両者は渾然一体となっているため、各ガイドブックでは同コースは熟練者向きとされており、しかも、このうち本件事故現場はほとんど垂直に近い二〇メートルの崖を登らなくてはならず、落石等の危険が極めて大きい箇所となっていた。

本件登山は学校行事として行われていたから、石川から指定外コースへのコース変更の了解を求められた同教諭としては、事前に同コースを踏破するなどの充分な調査をする義務があるといわなければならないところ、右調査をすれば、第五堰堤が築造されたことにより西山谷コースのその部分が分断されて本件事故現場の崖を登らなければならなくなり、落石等の危険が大きいコースになっていたというコースの変化を知ることができ、その危険性も理解できたと解されるから、四二班の班長である圭司を呼び出すなどして西山谷コースの登山を止めるよう厳しく指導し、右コース変更を断念させることもできたにも拘らず、右調査をせず、西山谷コースの本件事故当時の具体的な前記コース状況を正確に把握しないまま、前記のとおり石川の申出を了承ないし許可したものである。

更に、本件登山当日は前夜来の雨が降っていたのであるから、なおさら同日の西山谷コース登山を中止させるべきであったのにこれを怠った。

大森教諭が仮に前記の指導をしていれば、真面目で責任感の強い生徒であった圭司は、高度の蓋然性をもって西山谷コース登山を断念したと思われる。

(二) 使用者責任

(1) 本件登山計画に関し、圭司らは指定コースである寒天山道コースをいったんは選択していたが、その後四二班、四六班の一三名は、同コースから西山谷コースに変更することとし、前記のとおり本件登山の約一週間前に石川を通じて大森教諭にコース変更の了解を求めた。本件登山は学校行事として行われており、西山谷コースは指定外のコースであったから、同教諭は、同コースの現状について事前に踏破するなどの充分な調査をすべきであり、しかも、右調査をすれば、本件事故現場付近のコース状況が前記のとおり変わっていて、落石等の危険が大きくなっていたことを容易に知ることができたのに、右調査をせず、従って同コースの本件事故当時の具体的なコース状況を正確に把握しないまま同コースが安全であると軽信し、石川の申出を了承ないし許可したもので、大森教諭には生徒を危険から守るため右調査をし、西山谷コース登山を止めるよう指導監督すべき注意義務を怠った過失があり、大森教諭の右不作為の結果本件事故が発生したのである。

また、同高校の校長勝山正躬(以下「勝山校長」という。)は、被告の代理監督者として同高校教諭を指定監督すべき地位にありながら適切な指導監督をなすべき義務を怠り、漫然と前記二班の生徒を西山谷コースに登山させた過失があり、本件事故は勝山校長の右不作為の結果生じたものである。

従って被告は、大森教諭及び勝山校長の使用者として、民法七一五条一項の規定に基づき、大森教諭と勝山校長の各不法行為によって原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 勝山校長は、本件事故当日、報道機関の取材に対し、故意又は過失により、本件事故発生に至った経過事実を正確に把握しないまま、「はずれ者がいたんですわ。」などと発言し、圭司に一方的な落度があって被告側には何等の責任もなく、むしろ学校の名誉を害されて迷惑であるかのごとき対応を終始一貫して示し、これを報道機関を通じて社会に流布させ、その後も本件事故に関する責任を否定し続け或いは曖昧にし続けて死者である圭司の名誉を侵害し、それによって両親である原告らの名誉を毀損するに至った。原告らは、同校長の右不法行為により多大の精神的苦痛を被った。

従って被告は、勝山校長の使用者として、民法七一五条一項の規定に基づき、同校長の右不法行為によって原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

4  損害額

(一) 逸失利益 八一六三万〇六六九円

圭司は、昭和四二年九月七日に生まれ、本件事故当時、灘高校の三学年に在学中であったところ、同人が医師になるため京都大学医学部に進学することを強く志望していたこと及び全国の最高水準に達している進学校である灘高校における同人の成績等に鑑みると、同医学部合格はほぼ確実といえ、更に医師国家試験合格も確実であったと解されるから、平成四年四月(二四歳)には医師として稼働することが可能であった。そこで、平成二年度賃金センサス第一巻第一表の二五歳ないし二九歳の勤務医の年間平均給与額六五一万二九〇〇円を下らない収入を平成四年四月から六七歳までの間得られたであろうことを推認することができ、生活費の控除割合は三五パーセントとするのが相当であるから、これを基礎としてホフマン式計算法を用いてその逸失利益の現価を算出すると、後記計算式のとおり、八一六三万〇六六九円となる。

(計算式)

6,512,900×(1−0.35)×19.2826=81,630,669

(二) 慰謝料 原告らそれぞれ七五〇万円

圭司は、本件事故当時一六歳の生徒であり、本件事故の態様・年令・身分等本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、本件事故によって被った精神的苦痛は甚大でその慰謝料は多大であって、原告らは、その慰謝料請求権を相続により二分の一づつ承継したほか、原告らにとって圭司は唯一の子であったから、かかる圭司を失った精神的苦痛も極めて大きく、原告らは、圭司の両親として各固有の慰謝料請求権を取得した。

更に、前記名誉毀損により原告らが被った精神的苦痛も大きい。

それ故、原告らの被った精神的苦痛を慰謝するには、それぞれ七五〇万円の慰謝料をもってするのが相当である。

(三) 葬儀費用 一〇〇万円

圭司の葬儀費として一〇〇万円を下らない費用を要したが、原告和男においてこれを支出した。

(四) 弁護士費用 原告らそれぞれ二五〇万円

原告らは、本件訴えを提起するに当たり、弁護士を訴訟代理人に委任することを余儀なくされたが、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としてはそれぞれ二五〇万円が相当である。

よって、原告らは、被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害の賠償として、日本学校健康会から内入れのあった一二〇〇万円を各原告につきそれぞれ六〇〇万円ずつ控除した残金として原告和男については四五八一万五三三四円の、原告起与子については四四八一万五三三四円の及びこれらに対する債務不履行ないし不法行為の日である昭和六〇年一一月七日から右各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1、2の事実はいずれも認める。

2  同3(一)のうち、在学契約が存在していたこと、登山予定コースとしてB、C、Dの各コースが指定されていたこと、圭司が属する四二班の登山コースがC―寒天山道コースであったことは認めるが、その余は否認ないし争う。

3  同3(二)のうち、登山コースとしてB、C、Dの各コースが指定されていたこと、四二班の登山コースがC―寒天山道コースであったこと、被告が大森教諭及び勝山校長の使用者であることは認め、その余の事実は不知ないし争う。

4  同4のうち、(一)、(二)は否認ないし争い、(三)、(四)は知らない。

5  圭司は未だ高校生であり、今後志望、進路を変更する可能性もなしとしない上、原告ら主張の逸失利益算定の前提となる大学医学部の入学試験及び医師国家試験は激烈な競争、厳格な試験を克服しなければならず、その意味で高校生の場合、将来の職業、収入等についての予測は極めて困難であり、医師としての収入が得られる高度の蓋然性があると見るのは妥当でない。また、医師の資格を取得するまでに要する諸経費は一般に莫大であり、生活費控除は原告ら主張の程度では賄えない。

三  抗弁ないし被告の主張

1  安全配慮義務違反ないし注意義務の不存在

(一) 本件登山計画策定に至る経緯

灘高校は、若干の年の例外を除き、三学年の遠足地を二〇年以上にわたって六甲山とし、その登山方法は若干のコースを指定してその中から生徒に自由に選択させ、頂上で登山をチェックした後下山させるという生徒の自主性を主体にした形式による校外行事を行ってきたところ、本件登山計画は、昭和六〇年九月中旬ころから教諭を構成員とする学年会議で遠足係の木下道之助教諭(以下「木下教諭」という。)を中心として検討し、各クラス二、三名の生徒からなる旅行委員の意見も聴取して、同年一〇月中旬ころに策定された。そして、同月一五日に右旅行委員で構成される旅行委員会を招集し、遠足の注意事項、コースガイド六甲山登山地図からなる遠足のしおりを配布し、各クラス生徒に伝達するよう要請してこれを伝達した。そして、各班から登山届(登山コース、集合・解散時刻、班員名等を記入)を提出させ、木下教諭においてその内容を詳細に点検し、コースから見て集合時刻等が不適当なものは班長を呼んで是正を指導し、「高3六甲山登山計画表」を作成して、同計画を確定した。そして、右しおりや計画表に基づき、旅行委員及びクラス担当教諭から全生徒に十分な注意や指導を行なった。

(二) 本件登山計画の概要

(1) 本件登山計画の基本的性格は、学校において五つの登山コースを指定し、チェックポイントとその通過時刻を定めるだけで、コースの選択、集合場所、出発時刻、解散駅、解散時刻等は班ごとに生徒に自主的に計画させ、班別に行動させる班別登山であった。

(2) 各クラスごとに九班を編成するが、班の編成、班長の選任等は生徒の自由とし、各班長は班員と協議して自主的に班の登山計画を作り、各班ごとに予定の行動の登山届け(登山コース、集合駅・時刻、下山コース、解散駅・時刻、班長・班員名、連絡先電話番号を記載)を遠足係の木下教諭に提出する。

(3) 指定したコースは、A―阪急バス利用、A'―六甲ケーブル利用、B―油コブシ道、C―寒天山道、D―石切道の五コースであり、体調の良くない者以外はB、C、Dのコースを選択するよう指導したが、B、C、Dの各コースは、いずれも所要時間約二時間程度で六甲山上のドライブウェイに出る平易で安全なコースで、時間的にも体力的にも余裕のあるコースである上、脇道や他の登山コースに迷い込むおそれが極めて少なく、かつ、自動車交通の激しい山上ドライブウェイの通行もごく僅かですむもので、体調不良の者には、A、A'によるバス、ケーブル利用を認めた。また、山は日暮れが早く、往復徒歩では疲労、日没などによる不測の事故が気遣われたため下山方法としては極力バス、ケーブルを利用すること(A、A'コース)を勧めた。

(4) 学校側は、同日午前一一時三〇分から一二時までをチェックポイントの通過時刻と定めた。

(5) 本件登山計画により、三学年の生徒二二二名が自主的に三六班に分かれて班ごとに登山することとなった。

(三) 本件登山計画の実施状況

(1) 昭和六〇年一一月七日、午前六時過ぎころ、木下教諭は、登山のベテランで地元に在住する西岡豊教諭(以下「西岡教諭」という。)と電話で協議した結果、昨夜来の雨もあがり、曇天ではあるが天気が回復に向かっていたため、予定どおり本件登山を実施できると判断し、学年主任の上田浩石教諭(以下「上田教諭」という。)の了解を得て、各クラス担任教諭に連絡し、それぞれ各班長を経由して生徒全員に予定どおり実施することを連絡した。

(2) 当日、予め定めた計画に従い、各コースの安全確認のため、Bコースを西岡教諭が、Cコースを片平雅史教諭(以下「片平教諭」という。)が、Dコースを木下教諭及び大森教諭がそれぞれ生徒に先行ないし並行して登山し、片平教諭は午前一一時三〇分ころ、その余の教諭らは午前一〇時ころにそれぞれチェックポイントに到着した。また、チェックポイントでは上田教諭、辻正雄教諭(以下「辻教諭」という。)及び松下巌教諭(以下「松下教諭」という。)がチェッカーとして待機し、このうち松下教諭は、緊急連絡用の必要に備えて自動車で登山した。

(3) 生徒は、予定どおり各班ごとに登山してチェックポイントで午前一一時三〇分から午前一二時まで通過チェックを受けて下山した。

(四) 圭司の行動

圭司は、予め提出した登山届によれば午前八時三〇分に阪急御影駅に集合し、Cコースを登山した上、Aコース(阪急バス利用)で下山し、午後三時に阪急六甲駅で解散することになっていたが、右登山届の変更を木下教諭に届け出ることなく西山谷コースを登山した。

(五) 大森教諭がコース変更を了解していないこと

昭和六〇年一一月五日ころ、四二班の班長でなく班員の一人にすぎない石川が大森教諭に対して「自分たちは西山谷コースを行くが、このコースで頂上のチェックポイントに時間的に間に合うだろうか。」と尋ね、同教諭は「時間的には多分行けるだろう。」と答えたことがあったが、そもそも石川は、同教諭との個人的な信頼関係から、西山谷コースに変更したことを黙って行くのは何となく悪い気がしたために同教諭に個人的にその旨告げたに止まり、班を代表して許可ないし承認を得るために話したものではない上、本件登山コースは前記五コースに限定されており、本件登山計画実施の責任者は木下教諭であって、大森教諭はコースの指定や変更許可をなしうる立場にはなく、その権限のないことは圭司も石川も十分承知しており、計画変更は文書で届け出て改めて許可を得なければならないことは明らかであったから、同教諭が前記やりとりでコース変更を了解したわけでは決してなく、石川自身も前記やりとりでコース変更の了解を得たなどとは考えていなかったのである。

(六) 西山谷コースの危険性

(1) 西山谷コースは、住吉川の上流にあり、元来千丈谷と言われていたが、昭和一三年の水害で大荒れに荒れ、谷底が深く削れて多くの滝群が出現し、小滝の連続する幽すい境として六甲山のハイキングコースでも一、二の渓谷美を競い、常に遡行者で賑わっている。同コースには一四箇所の滝が存在し、かつては主に滝の岩場を登攀する直登ルートのみしかなく、従ってある程度の経験と技量が必要であったが、次第に一般のハイカー向けに滝を迂回する巻き道ができて、今日では特に岩場の遡行を意識的に選択しない限り、ハイカーの流れは自然に巻き道の踏み跡を辿るようになっていて、現在では同コースは六甲山の登山地図やガイドブックに広く紹介されているハイキングのための一般的なメインコースの一つであり、昭和六〇年一〇月に発行された神戸市広報課編集の「市民のグラフこうべ」一五七号にも「山なれた人には、神戸でもっとも推奨される谷筋」と紹介されている。同コースは、熟練者向きと紹介されているが、前記一四箇所の滝ほとんどすべてに巻き道があって、滝の岩場の登攀は全く必要でなく、右巻き道ルートを選択する限り、一般ハイカーでも楽しめるコースで容易に山上に到達でき、登る人も多く、女性や小さい女の子さえ登っており、一般の山道にも必要な「細心の注意を払って登る」限り格別の危険などはない。そして、圭司らが選択したのはその巻き道ルートであった。

(2) 圭司はワンダーフォーゲル部のベテランで登山につき充分な知識と経験を有しているので班長に選ばれており、他の班員も同部のキャプテンである石川を初めとして運動部の優秀なリーダーで大半が構成されており、かかる知識、経験を有し、成人とほぼ同様の判断力と体力を有する高校三年生である圭司らにとって西山谷コースは特別に危険なコースではなかった。また、圭司は灘中学二年時に同コースを巻き道経由で登っており、他にも数名(一三名中六名)が同コースを経験していた。

(七) 本件事故の予見可能性等

(1) 本件登山の実施につき、圭司が届出内容に違反し、学校の指定コース以外のルートを登山することは遠足係の木下教諭や勝山校長は知らなかったのであるから、被告としては本件事故の発生など全く予見できない事柄であった。

(2) 高校三年生という活力に溢れた若者として、時には学校側指定のコースに満足せず、勝手に他のルートを登ってチェックポイントに顔を出していた例が過去にもないわけではなかったが、自主的班別登山の性格上、学校側がそこまで警戒の目を光らせてこれを阻止することは事実上不可能であるのみならず、自主的団体行動をとらせることにより同時に自律的な責任観念を養わしめるこの行事の本来的目的から大きく逸脱することになる。仮に原告ら主張の処置をとるとした場合、生徒たちが届出コースを現に登山しているかどうかについては、各コース途中の要所要所にチェックポイントないし見張所を設けて通過する各班を監視するしかなく、班単位ごとに統制ある行動がとれたか否かについては登山実施後各班の個々の生徒につき実情調査することになるが、かかる方法をとれば学校側と生徒側相互の信頼関係は損われ、管理教育に繋がるため、これを避けるべきである。被告における伝統的な教育方針は、かかる官僚的な管理教育を排し、生徒自律主義で貫かれている。

(3) また、大森教諭にしても、圭司らが西山谷コースへ行くことを確信していたわけではなく、また、同コース自体熟練者向きとはされているものの、前記のとおり地図やガイドブックでは広く一般に周知されている典型的コースであって、同教諭自身が本件事故前に二回同コースを巻き道ルート経由で登った経験からも巻き道ルートを取れば危険ではないとの認識があり、また、石川らが登る際には巻き道ルートを取るであろうことを予想しており、更には班長である圭司や石川がワンダーフォーゲル部のベテランであっていずれも同コースを登った経験があることも相俟って、事故の発生を具体的に予見することは不可能であった。

西山谷コースで仮に危険箇所を指摘するとすれば本件事故現場の登攀地点であろうが(落石の危険)、本件事故現場の第五堰堤が完成したのが昭和六〇年八月であり、その存在なり工事なりに触れたガイドブックは本件事故当時皆無であることに鑑みると、同コースの具体的状況の変化を大森教諭が予知することは不可能であり、仮に可能であったと仮定してもその不知につき過失はない。

(4) 班長でもない石川が、校務分掌上遠足係でない大森教諭に西山谷コースを登ることを告知した理由は、同教諭との強い人間的結び付きに基づくものであり、石川は止められることはないとの確信に基づいて同教諭に告知し、同教諭もそのことを十分理解していたのであるから、仮に同教諭が石川の話から変更を差し止めたり木下教諭に通告するなどしてプラン変更を余儀なくさせたりすれば、自分を信頼して打ち明けた石川に対する背信行為となって、教師と生徒の間の信頼関係が揺らぐことになることは明らかであり、同教諭に石川らを止めることを求めるのは期待可能性がないというべきである。

(5) また、圭司らは、石川が大森教諭に告げた時点では既に西山谷コースを登山することを決めていたのであって、仮に同教諭が止めたとしても、班別の自主的登山である本件では圭司らが隠れて登山することを阻止することができないから、大森教諭が石川から話しを聞いたことと本件事故とは因果関係がない。

2  過失相殺

(一) 圭司は、班員を統率する班長の立場にあったから、班員が指定外ルートの登山を目論んだとしてもこれを抑制すべきであったのに、これを抑制しなかったのみならず、他の班の者に同調を呼び掛けるなど指定外コースの選択にむしろ意欲的、積極的であった。そのために本件事故が発生したのであるから、本件事故の発生につき圭司にも過失がある。

(二) また、本件事故現場は、第五堰堤南側の高さ約二〇メートルの西側斜面で、昭和六〇年八月に第五堰堤が完成したことにより河床ルートは分断され、二つのルートで接続されるに至った。一つは堰堤の両側に設けられたコンクリート製の階段であり、他は堰堤南側の西側斜面である。圭司らは、第五堰堤迂回のため西側斜面の登攀を開始したが、先頭の数人が同斜面に立て掛けられた工事用梯子を登り出したころから小石や砂が転がり落ちる現象があり、そのうちの一人は顔に軽傷を負ったのであるから、長くワンダーフォーゲル部に在籍し、関西周辺はもとより、白馬、穂高等の高峰の山歩きも重ね、落石多発の危険箇所の踏破体験も積んでいた班長の圭司としては、この時点で直ちにその後の落石の危険を予測し、適切な方法(多数登山者の縦列登攀は落石誘発の危険があるため、一人が登り切って安全地帯へ退避した後に次の者が登り始めるようにするなど)を講ずるべきであったのにこれを怠り、圭司自身先行者が頭上から安全地帯へ避譲するのを待たずに登攀を開始したのであって、圭司の過失は極めて大きいというべきである。よって、その損害額を判断するに際し、圭司の右過失を斟酌すべきである。

四  抗弁ないし被告の主張に対する原告らの認否及び反論

1  被告の主張1(一)のうち、灘高校が若干の年の例外を除き、三学年の遠足地を六甲山とし、被告主張のような生徒の自主性を主体にした形式による校外行事を行なってきたこと、木下教諭が遠足係であったこと、各クラス二名の旅行委員が選任されたこと、遠足の注意事項、コースガイド、六甲山登山地図からなる遠足のしおりが配布されたことは認め、その余の事実は知らない。

2  同1(二)の(1)、(2)、(4)、(5)の各事実及び(3)のうち、主張の五つのコースを指定したこと、体調の良くない者以外はB、C、Dコースを選択するよう指導したこと、右三コースは平易、安全で時間的、体力的に余裕があることは認め、その余の事実は知らない。

3  同1(三)のうち、本件登山当日の早朝大森教諭から圭司に対して遠足がある旨の電話連絡があったこと、西岡、片平、木下、大森の各教諭が六甲山に登山し、いずれもチェックポイントに到着したこと、生徒がチェックポイントでチェックを受けて下山したことは認め、その余の事実は知らない。

4  同1(四)のうち、圭司が登山届の変更を木下教諭に届け出なかったことは知らないが、その余の事実は認める。

5  同1(五)のうち、石川が大森教諭に西山谷コースを登る旨を告げたことは認め、その余の事実は不知ないし争う。

6  同1(六)(1)は争う。同1(六)(2)のうち、圭司がワンダーフォーゲル部に在籍していて登山についての知識経験を有していたことは認め、その余の事実は争う。

7  同1(七)は争う。

8  同2の事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1(当事者)、2(本件事故の発生)の事実はいずれも当事者間に争いがない。そこで、同3(責任原因)について順次判断する。

二債務不履行責任(安全配慮義務違反)について

1  被告と圭司との間に在学契約が存在していたことは当事者間に争いがないから、被告は、自ら設置・管理する灘高校の生徒である圭司に対し、同高校が校外学習行事の一環としての本件登山を実施するに際して、右在学契約に付随する信義則上の義務として、本件登山に参加する生徒の生命・身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。そこで、被告が本件登山に関して右安全配慮義務を尽くしたか否かについてまず検討することにする。

2  前記争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人木下道之助、同大森秀治、同上田浩石、同石川尚、同西岡豊、同土井宏悦、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  本件登山計画策定に至る経緯

灘高校では、ほぼ二〇年以上にわたって、三学年の校外行事の一つとして、六甲山を目的地とする遠足を実施してきたが、その登山方法は、学校側が若干のコースを指定してその中から生徒に自由に選択させ、登山の後、頂上で登山をチェックして下山させるという生徒の自主性を主体にした形式によるものであった(二〇年以上にわたってとの点を除いて争いがない。)。昭和六〇年度の三学年の遠足についても、圭司が灘中学に入学した際の同窓生である三八回生の学年担任(灘高校卒業までの六年間、原則として同じ教諭が持ち上がりでその学年を担当する。)として配属された(大森教諭を含む)七人の教諭を構成員とする学年会議(以下「学年会議」という。)で、昭和六〇年九月中旬ころにそれまでの慣例に従って目的地が六甲山と決定された。そして、右遠足に関する事項は、灘高校の校務分掌上遠足係(毎年の遠足や修学旅行の計画立案を担当する。)に選任された木下教諭を中心にその後の学年会議で順次検討され、各クラスから二、三名ずつ選出された合計一〇名の旅行委員の意見も聴取して、同年一〇月中旬ころまでに本件登山計画として策定された(木下教諭が遠足係であったこと及び各クラスから少なくとも二名の旅行委員が選出されたことは争いがない。)。ただ、本件登山計画の策定に当たり、後記各指定コースを事前に踏破するなどして現地を実地調査することはなかった。

(二)  本件登山計画の概要

(1) 本件登山計画の基本的性格は、学校側において五つの登山コースを指定し、チェックポイントとその通過時刻を定めるだけで、コースの選択、集合場所、出発時刻、解散場所、解散時刻等は班ごとに生徒に自主的に計画させ、班別に行動させる班別登山であった(争いがない)。

(2) 各クラスごとに九班を編成するが、班の編成、班長の選任等は生徒の自由とし、各班長は班員と協議して自主的に班の登山計画を作り、各班ごとの予定の行動を記載した登山届(登山コース、集合駅・時刻、下山コース、解散駅・時刻、班長・班員名、連絡先電話番号を記載)を遠足係の木下教諭に提出する(争いがない)。

(3) 指定したコースは、A(阪急バス利用)、A'(六甲ケーブル利用)、B(油コブシ道)、C(寒天山道)、D(石切道)の五コースであり、体調の良くない者以外はB、C、Dのいずれかのコースを選択するよう指導した。B、C、Dの各コースは、いずれも所要時間約二時間程度で六甲山上のドライブウェイに出る平易で安全なコースで、時間的にも体力的にも余裕のある一般的なハイキングコースである上(争いがない)、脇道や他の登山コースに迷い込むおそれが極めて少なく、かつ、自動車交通の激しい山上ドライブウェイの通行区間もごく僅かですむものである。そして、体調不良の者には、A、A'によるバス、ケーブル利用を認めた。また、往復徒歩による疲労や日没などによる不測の事故を気遣って、下山方法としては極力バス、ケーブル(A、A'コース)を利用することを勧めた。

(4) 参加生徒の出欠を確認するため、六甲山上にある神戸ゴルフクラブハウス前を唯一のチェックポイントとし、本件登山当日の午前一一時三〇分から一二時までを通過時刻と定めた(争いがない)。

(5) 本件登山計画により、三学年の生徒二二二名が自主的に三六班に分かれて班ごとに登山することとなった(争いがない)。

(三)  本件登山計画実施に向けての事前の諸注意

昭和六〇年一〇月一五日に旅行委員会が招集されたが、その席で木下教諭は、遠足の注意事項、コースガイド(前年に出た最新版のもの)及び六甲山登山地図からなる「遠足のしおり」を旅行委員に配布すると共に、班別行動及び届出コースの厳守を要請し、前夜泊の禁止を伝達し、枝道に紛れ込むことの危険性や山頂での自動車道路横断に際しての注意、更にはすずめ蜂やまむしに襲われる等の各種危険に対する具体的な注意を与え、また山や班員の具体的状況に適切に対応するために班長にはできるだけワンダーフォーゲル部の部員等を選任するよう指導するなどの各種注意事項を旅行委員に説明し、これらを各クラス生徒に伝達するよう要請して翌日これを配布、伝達させ、その際各クラス担任教諭もこれを補充して説明した(遠足のしおりが配布されたことは争いがない。)。そして、生徒によって自主的に編成された各班から登山届(登山コース、集合・解散時刻、班員名等を記入したもの)を事前に提出させ、木下教諭においてその内容を個別かつ詳細に点検し、選択したコースから見て集合時刻等が不適当なものは同教諭が班長を呼んで指導し、是正させた。

(四)  本件登山計画の実施状況

(1) 昭和六〇年一一月七日、午前六時過ぎころ、木下教諭は、登山のベテランで地元に在住する西岡教諭と電話で協議した結果、昨夜来の雨もあがり、曇天ではあるが天気が回復に向かっていたため、予定どおり本件登山を実施できると判断し、学年主任の上田教諭の了解を得て、午前七時ころまでには各クラス担任教諭にその旨連絡し、更に各班長を経由して、予定どおり実施することを生徒全員に連絡させた。上田教諭から連絡を受けた大森教諭は、同日早朝、圭司に対し、遠足を実施する旨及びその旨を班員に伝えるように伝言した(大森教諭が同日早朝に圭司に対して遠足がある旨の電話連絡をしたことは争いがない。)。

(2) 同日、予め定めた計画に従い、各コースの安全確認のため、Bコースを西岡教諭が、Cコースを片平教諭が、Dコースを木下教諭及び大森教諭がそれぞれ生徒に先行ないし並行して登山し、それぞれチェックポイントに到着した。(西岡、片平、木下、大森の各教諭が登山し、いずれもチェックポイントに到着したことは争いがない。)。また、山上のチェックポイントでは上田教諭、辻教諭及び松下教諭がチェッカーとして待機し、このうち松下教諭は、緊急連絡の必要がある場合に備えて自動車で登山した。

(3) 当日登山した一九五名の生徒は、予定どおり各班ごとに登山し、圭司らの一行一三名及び他の一班(六名)を除いては、いずれもチェックポイントで午前一一時三〇分から同一二時までの間に通過チェックを受けて下山した(圭司らの一行一三名及び他の一班(六名)を除いた生徒がチェックポイントでチェックを受けて下山したことは争いがない。)。

(五)  圭司らの行動

圭司ら四二班の生徒七名は、予め提出した登山届では、午前八時三〇分に阪急御影駅に集合し、Cコースを登山した上、Aコース(阪急バス利用)で下山し、午後三時に阪急六甲駅で解散する旨届け出ていたが(争いがない。)、石川の提案により、本件登山に際して実際には寒天山道を登らず、西山谷コースを登ることを予め決めていた。しかし、登山届の変更を木下教諭には届け出ておらず、右コース変更を学校側には知らせないままであった。そして、本件登山当日に登山した四二班の六名は、同様に予め西山谷コースを登ることにしていた四六班の班員六名及び四七班の班員一名と出発地点の渦ヶ森バス停留所で偶然に合流して行動を共にすることになり、右一三名が一緒に後記巻き道ルートを経由して西山谷コースを登り始め、第五堰堤に差しかかって、本件事故現場を登攀中に本件事故に遭遇した。

(六)  西山谷コースの難易度及び危険性

(1) 西山谷コースは、住吉川の支流に沿い、元来千丈谷と言われた西山谷を遡行する沢登りのコースであるが、昭和一〇年及び昭和一三年の水害で荒れたため多くの滝群が出現するに至り、現在では小滝の連続する幽すい境として六甲山でも有数の渓谷美を競い、遡行者で賑わっている。同コースには主な滝が一四箇所ほどあり、それぞれの滝を通過する方法としては、今日では滝の岩場を直登するルート(直登ルート)と滝を迂回して登って行くルート(巻き道ルート)とがある。

(2) かつては、滝を通過するには滝の岩場を登攀するしかなく、従って相当の経験と技量とを必要としたが、次第に一般のハイカー向けに滝を迂回する巻き道ができて、一般のハイカーでも同コースを楽しめるようになった。そして、現在では同コースは六甲山の登山地図やガイドブックに広く紹介され、ハイキングのための一般的なコースの一つとなっている。

(3) 市販のガイドブックの多くは、同コースを熟達者(熟練者)向きとして紹介してる(同コースの入口にも「熟練者向」と表示された案内板が存在している。)が、昭和六〇年八月に第五堰堤が完成する前は、前記一四箇所の滝のほとんどすべてに巻き道ができていて、滝の岩場の登攀は必要でなく、従って、右巻き道ルートを選択する限り、一般ハイカーでもさほどの困難に遭遇することなく六甲山上に到達でき、女性や比較的小さな子供も含めて多くの人が登っている状況であるから、同コースの巻き道ルートそれ自体に格別の危険性があるとは認められない。ただ、巻き道を通る者も滝の岩場登りのルートにいつでも変えることができ、その意味で直登ルートと巻き道ルートとが一体となっているため、多くのガイドブックが全体としての西山谷コースを熟練者向きのコースとして紹介しているものと解される。この点は、市販の各ガイドブックにおいて、「初心者は高巻き道を歩くこと。一般のハイカーは滝の両側にある高巻き道を通り、細心の注意を払って登りたい。〈書証番号略〉」「一般ハイカーとしても楽しめるコースであるが、危険な滝の岩場は登らないで、一般登山路の高巻きの道を歩くこと。(〈書証番号略〉)」「自信のない人は無理をせず巻き道を利用されたい。(〈書証番号略〉)」「現在では小道の通じているところもあり熟達者向とはいえない。(〈書証番号略〉)」などと記載されているところからも窺うことができ、一般のハイカーに対し同コースを利用しないように勧めてはおらず、むしろ一般のハイカーが利用することを当然の前提とし、ただ、岩場の登攀を避けて巻き道を通るよう忠告しているに止まるのである。

(4) しかしながら、昭和六〇年八月に本件事故現場に高さ約二〇メートルの砂防目的による第五堰堤が築造されたことにより、後記のとおり本件事故現場付近の状況が一変して、同所付近における同コースの難易度は格段に高まり、落石の危険性も具体的に生ずるに至った。

(七)本件事故現場の状況

(1) 本件事故現場付近には、かつては滝の岩場を直登するルートと滝を迂回する巻き道を通るルートがあり、登山者はそのいずれかを選択することができたが、昭和六〇年八月に同所に第五堰堤が築造されたことにより、河床ルートが分断されてしまい、しかも右工事に際して正式な迂回ルートが設けられなかったために、同堰堤を越えるためには、堰堤南側両脇に築造された段差のかなり大きい階段状のコンクリート部分を登るか、或いは堰堤南側の西にある花崗岩の風化した岩肌が露出する急な崖(本件事故現場)を登るかしか方法がなくなってしまった。そして、本件事故現場付近では、第五堰堤の築造により風化した花崗岩の岩肌が露出するに至って、上方からの落石の危険性が大きくなっていた。

(2) 本件事故現場の登り口付近には、工事用の八段の木製梯子が登山者によって立て掛けられており、これを登ると、その右手上方に登山者が取り付けたと思われるロープがあって、これを伝って登り、右方に出て更に少し登ると、緩やかな登りになって堰堤上部に出られるようになっている。

(3) 西山谷コースは、第五堰堤の築造工事が開始された昭和五九年一〇月ころから右完成までの期間、登山禁止となっていたが、同堰堤の存在なり築造工事なりに触れたガイドブックは本件事故当時出版されていなかった。また、灘高校の教諭らが加入する山岳会のメンバーの間でもそのことが話題になったこともなかったところから、大森教諭を初めとして、灘高校側の者は誰一人として右コース状況の変更を知らなかった。

(八)  本件事故の状況

圭司らは、本件事故現場を登攀することとし、同所に立て掛けられていた木製の梯子とその上方のロープとを利用して一人ずつ一定の間隔をおいて順次登り始め、圭司が一二番目に右梯子を登り始めた。その際、先頭の者は既に崖を登り切っており、一一番目に登っていた生徒は圭司よりも約一〇メートル上方を登っている最中であった。そして、圭司が右梯子の中間位に差しかかったとき、上方から数個の落石があり、そのうちの直径約三〇センチメートルを越える石が圭司の後頭部を直撃した。

(九)  大森教諭と石川とのコース変更についての会話について

(1) ワンダーフォーゲル部の顧問であった大森教諭は、本件登山の二ないし五日前ころ、同部員で四二班の一員である石川から、「西山谷に行くんですが、時間は間に合いますか。」とチェックポイントでの点呼に間に合うかどうかを尋ねられた(石川が同教諭に西山谷コースを行くことを告げたことは争いがない。)。同教諭は、それまでに巻き道ルート経由で同コースを登った経験が二回あり、その際の体験に照らして同コースが危険性のあるコースに変わったとの認識がなかったところから、石川に対し、同人らが巻き道を歩くことを前提に「大丈夫だと思う。」旨答えたに止まり、指定外コースであること等を理由に石川にコース変更を翻意するよう要請したりはしなかった。

(2) 石川は、灘高校の卒業生で年令も若く、その兄貴分的な存在であった大森教諭とは、同人がかつて同部の部長を務めていたこともあって、個人的に強い信頼関係があったため、黙って西山谷に行くのは気が咎めたところから、地図のコースタイムに関してアドバイスを欲しかったこともあって、コース変更を一応同教諭の耳に入れておこうという気持ちになって個人的に打ち明けたものであり、コース変更を同教諭に告知しても、止められることはなく、黙認されるだろうと考えていた。従って、打ち明けることを事前に圭司ら四二班の者に相談してしなかった。そもそも、本件登山計画の責任者は木下教諭であって、大森教諭はコース指定や変更許可をなしうる立場にはなく、その権限のないことは石川も圭司も十分に承知しており、計画変更は文書で届け出て改めて許可を得なければならないことは石川らにとっても明らかであった。従って、石川自身、同教諭にコース変更の了解ないし許可を得ようとの気持ちは毛頭なく、また、前述のやり取りでコース変更の了解を得たなどとは考えておらず、同教諭も、許可したなどという認識はなかった。

(3) 石川は、その後圭司に対してコース変更を大森教諭に話しておいた旨告げたところ、圭司は同教諭の了解を得たものと考えて、母である原告起与子にその旨伝えた。

(一〇)  灘高校の生徒の資質及びその教育方針

灘高校は、全国でも有数の有名大学進学校であって、これまでに多くの有為の人材を輩出してきているところ、同高校には優れた資質を持った生徒が数多く在籍している。同高校は、「精力善用」「自他共栄」を原理として伝統的に自由かつ自主的な教育方針を取っており、生徒の自主性を最大限に尊重して、校則は一切設けず、生徒手帳も発行しないなど、生徒自律主義で貫かれている。同高校における右教育方針は、灘中学から引続いて実践されているため、同中学から進学した生徒には特に浸透しており、自己の行動に対する責任を自分で取ることは十分身についているものと認められる。

(一一)  圭司及び石川の登山経験等

圭司は、灘中学の二年時にワンダーフォーゲル部に入部し、以後同部員として、夏の五泊六日程度の合宿(立山連峰、白馬岳等に登山)に三回、冬ないし春の二泊三日程度の合宿に三回程それぞれ参加し、この他に六甲山系の全山縦走も含めて六甲山系でのキャンプを一〇回以上経験するなど、相当の登山経験を有し、登山に関する知識を十分有していた(圭司が同部に属していて登山についての知識経験を有していたことは争いがない。)。そして、西山谷コースについては、中学三年時に石川と共に巻き道ルート経由で登った経験があった。また、石川は、灘中学の一年時に同部に入部し、同部の部長も経験するなどしてその活動のほとんどに参加し、圭司よりも多くの登山経験を有していた。

3 本件登山は、灘高校が校外学習行事の一環として実施したものであるが、その主体は高校三年生であるところ、高校三年生ともなれば、心身発達の程度が一般に成人のそれにほぼ匹敵するに至ることは経験則に照して明らかというべきであるから、かかる生徒に対しては自己の行為について自主的な判断で責任を持った行動をとることを期待することができ、従って、同高校の教職員としては、生徒が右のような能力を有することを前提とした適切な注意と監督をすれば足りるというべきである。即ち、このような能力を有する生徒が通常の自主的な判断及び行動をしてもなお生命、身体等に危険を生じるような事故が発生することを客観的に予測することが可能であるような特段の事情がない限り、教職員は生徒の行動について逐一指導監督するまでの義務はないものと解するのが相当である。

この点につき原告らは、「学校側は、①生徒らが届け出たコースと同じコースを登山したか否か、②班ごとに統制ある行動が取られたか否か等についてチェックし得る措置を講ずると共に、③各コースにつき事前に下見をするなどしてその状況を十分に把握すべき義務があったのにこれを怠った。」として被告に安全配慮義務違反があった旨主張するが、右①②のチェックをするためには、指定した各コースの出発地点や途中の要所要所で通過する生徒の行動を逐一監視したり、登山実施後に各班の個々の生徒について実状調査をするなどの方策を講じなければならなくなるところ、前者についてはかかるチェック態勢をとることは各コースの実情に照らして事実上困難であると解されるし、そもそも生徒の自主性を尊重して計画された班別自主登山である本件登山の性格に鑑みると、学校側が生徒の行動に関して警戒の目を光らせてこれを監視することは、自主的団体行動をとらせることにより同時に自律的な責任観念を養わせようとしたこの行事の本来的目的から大きく乖離することになる上、教育上の配慮からしてもむしろ不適当というべきである。また、かかるチェックを行うことによって、学校側と生徒側相互の信頼関係が損われる可能性も大きいと解されるから、学校側に原告ら主張の①②のような作為義務を認めることは相当でないというべきである。また、指定コースについては事前に下見がなされてはいないが、指定コースがいずれも一般的なハイキングコースであってその安全性等に特段問題点がないことは前記認定のとおりであるから、指定コースの下見をしなかったことだけで直ちに安全配慮義務違反となるものとは解し難い上、そのことが原告らが③で主張するように仮に安全配慮義務違反になるとしても、前記認定のとおり、本件事故は、被告が設置・管理する灘高校の指定したコース上で発生したものではなく、また圭司らが予め届け出た寒天山道コースから西山谷コースに迷い込んだことにより発生したものでもなく、圭司らが自主的に選択した指定外のコース(西山谷コース)上で発生したものであるから、本件事故との間に相当因果関係があるとは言えない。

本件においては、前記2の(一)ないし(四)で認定した本件登山計画策定に至る経緯、同計画の概要(特に指定コースの安全性)、事前の注意の状況及び同計画の実施状況などの事実に加え、更に前記2の(一〇) で認定した灘高校の生徒の資質及び同高校の教育方針などの事実を総合すると、本件登山計画の策定、実施に関し、灘高校としては、指定した各登山コースを生徒が登山する際に発生することが予想される生徒の生命及び身体等に対する各種の危険につき、事前に十分に検討し、同校三学年生徒の一般的な能力に応じた適切な計画をたてたものと認めることができ、本件登山計画それ自体に特段の問題があるとは解されない。

以上によれば、本件登山計画それ自体に関しては、生徒に対する安全配慮義務は尽くされていたと認めるのが相当である。

4 本件事故の予見可能性について

安全配慮義務は、事故発生の危険性に対する安全配慮の必要性の問題であるから、当該事故の発生が客観的に予測し得ない場合には安全配慮義務の違反が問われることはないものというべきところ、本件登山を実施するに際し、圭司が事前の届出に違反して学校側による指定コース以外のコースを登山することについては学校側には何等届け出がされておらず、大森教諭を除けば、遠足係の木下教諭や勝山校長を始めとする学校側の者は誰も圭司らのコース変更の事実を知らなかったのであるから、大森教諭が圭司らのコース変更を事前に認識していたという事実を除外すれば、被告は圭司らが西山谷コースを登山することひいては本件事故の発生を予見することはできなかったものである。

次に大森教諭は、前記認定のとおり、圭司らが西山谷コースを登山するつもりであることを本件登山の二日ないし五日前ころに石川の打明け話によって知るに至ったのであるが、灘高校の校務分掌上、いったん届け出た登山コースの変更を許可ないし承認する権限を有していたのは木下教諭であって、大森教諭にはかかる許可ないし承認の権限はなく(証人木下道之助、同大森秀治)、同教諭自身許可ないし承認する意図もなかった(石川においても同教諭からコース変更の許可ないし承認を得ようとの意図は存在していなかった。)というのであるから、同教諭が右許可ないし承認をしたことを前提とする原告らの主張は理由がない。

しかしながら、大森教諭は、コース変更を許可ないし承認していないとしても、少なくとも石川らがコース遵守義務に違反するつもりであることを知ったのであるから、学年担任教諭としてこれを翻意させるべきであるとの考え方も十分成り立ち得るところである。この点に関し原告らは、「石川からコース変更の了解を求められた大森教諭としては、事前に西山谷コースの現状について事前に踏破するなどの充分な調査をする義務があるのにこれを怠り、落石等の危険がある同コースの本件事故当時の具体的なコース状況を正確に把握しないまま、これを止めるよう指導監督しなかった。」旨主張するのであるが、他方、四二班の班長でもない石川が、校務分掌上遠足係でない大森教諭に西山谷コースを登ることを告知した理由は、前記認定のとおり同教諭との強い人間的結び付きに基づくものであり、石川は止められることはないとの確信に基づいて同教諭にコース変更を告知し、同教諭もそのことを十分理解して応答したのであるから、同教諭がコース変更を翻意するよう自ら説得したり、或いは木下教諭らに告げてコース変更を止めさせたりすれば、教師と生徒との間の信頼関係が損なわれることになる恐れが極めて大きかったと言うべきである。

特に、灘高校においては、生徒の自主性が最大限に尊重され、教師と生徒との間の信頼関係が良好に保たれてきているところ、右関係を維持・発展させることは教育の場においては極めて重要なことというべきであるから、大森教諭が右信頼関係を重視して石川らのコース変更に敢えて口出ししなかったことにも十分な合理性が認められる。また、前記のとおり、高校の教職員は、成人に劣らない判断能力を有する生徒が通常の自主的な判断及び行動をしてもなお生命、身体等に危険を生じるような事故が発生することを客観的に予測できるような場合でなければ生徒の行動について逐一指導監督するまでの義務はないというべきであるから、石川らが登ろうとしている西山谷コースが危険なコースであって、何らかの具体的な危険性ないし事故が予見できる場合には当然のことながら同コース登山を止めさせるべきであるが、そうでない場合には、生徒との信頼関係を重視して特段の注意をしない態度をとったとしても、同教諭には責められるべき義務違反はなかったものというべきである。前記認定の2の(六)、(七)の事実によれば、石川が大森教諭にコース変更を告げた当時、既に第五堰堤が完成しており、そのために従来のコースが分断されて、同堰堤西側斜面(本件事故現場)は落石の危険が生じるに至っていたのであるが、大森教諭は、右コース状況の変化を知らず、従って、西山谷コースが地図やガイドブックで広く一般に周知されている典型的なハイキングコースの一つであって、市販のガイドブックでは熟練者向きとはされているものの、一般の登山者も巻き道ルートをとる限り、さほどの困難なく山上に到達でき、自らの二度にわたる巻き道ルート経由での同コース登山の経験に鑑みても、巻き道ルートを選択した場合の西山谷コースは危険なコースとは言えず、石川らが成人とほぼ同様の体力と判断力を有し、ワンダーフォーゲル部のベテランであって登山につき十分な知識と経験を有しているという認識しか有していなかったから、同教諭にとって本件事故の発生を具体的に予見することは不可能であった。また、第五堰堤の存在なりその建設工事なりに触れたガイドブックは本件事故当時発行されておらず、灘高校の教職員が所属する山岳会のメンバーの間でも右コース状況の変化が話題になったことはないことに鑑みると、同コースの具体的状況の変化を大森教諭が知らないことにつき過失はないというべきである。

5 以上によれば、被告は、本件登山計画に関して生徒の生命、身体等の安全に十分配慮しており、本件事故の発生につき、予見可能性はなかったから、本件事故の発生につき、被告には帰責事由がないものといわなければならない。そうすると、その余の請求原因事実について判断するまでもなく、債務不履行(安全配慮義務違反)を理由とする請求は理由がない。

三使用者責任について

1二の2、3で認定、説示したところによれば、大森教諭に西山谷コースの事前調査義務を認めることはできず、また、被告の被用者である勝山校長や大森教諭につき、いずれもコース変更についての許可ないし承認をした事実はなく、また、大森教諭は個人的にコース変更の事実を知っていたものの、本件事故の発生を具体的に予見することはできず、予見しなかったことにつき過失はない。そうすると、本件事故につき大森教諭及び勝山校長に主観的要件の充足が認められないので不法行為責任を問うことはできないから、その存在を前提とする民法七一五条に基づく使用者責任の主張はその前提を欠き、理由がない。

2  勝山校長の本件事故当日における報道機関に対する発言については、証拠(〈書証番号略〉、証人大森秀治、同西岡豊、原告沖田起与子本人、弁論の全趣旨)によれば、同校長は、本件事故当日の報道機関に対する記者会見の席において、「コースを外れた者がいたようだ。残念です。もう一寸気をつけないといけないと反省している。」という趣旨の発言をしたことを認めることができるが、「はずれ者がいたんですわ。」などと発言した事実はこれを認めるのに足りる的確な証拠はなく(原告沖田和男はこれに副う供述をするが、この点に関する同人の供述は曖昧である上、勝山校長が前記発言をしたビデオテープが存在する旨法廷で明言しておきながら結局これを証拠として提出していないことに鑑みると、その信用性は低いといわざるを得ず、また、原告起与子は、勝山校長がテレビのインタビューで「圭司がいい恰好をして勝手に皆を危険な場所に連れて行って死んだ」旨の発言をしたと親戚から聞き、同校長とともにテレビ局でそのビデオを見ると、校長が「はずれもんがおったんですわな。」と言ったシーンが出た旨の供述をするが、他にこれを裏付ける確証がないから右各供述部分を採用することはできない。)、他に同校長が圭司に一方的な落度があって被告側には何等の責任もなく、むしろ学校の名誉を害されて迷惑しているかのような対応を終始一貫して示し、死者である圭司の名誉を侵害し、それによって両親たる原告らの名誉を毀損したとの事実を認めるのに足りる的確な証拠はない。

従って、原告の勝山校長の不当発言を理由とする被告の使用者責任に基づく損害賠償請求は理由がない。

四以上に認定、説示したところによれば、その余の請求原因事実について判断するまでもなく、本訴請求がいずれも理由のないことは明らかであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官辰巳和男 裁判官奥田正昭 裁判官樋口隆明)

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